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いざ後藤芳徳(よしのり)をつきとめようとすると、泥沼にハマったりしない?それほどに甚大なる大物かもしれない・・・。
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ご無沙汰ぶりに後藤よしのり氏の文面を覗いてみますた。
しょうしょう拝借つかまつる。

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最近、経営者からの相談を受けながら気がついた

 経営ってのは終わりが無いですよね。
 終わりを自分で作れるように設計しないのなら。

 人間にとって一番大きなストレスは

「終わりがわからないこと」

 なんですね。

 だけど

「終わりは無いんだ」

と割り切るとストレスは減ります。

 スポーツのような試合でも大会でも期限が設定できるものと終わりが無いものはトレーニング方法が根本から違うんですよね。
 応用できるものは一部あるかもしれないけど原則は全然違うものですね。

 どっちが上とか下は無いです。
 別物だから。

 野球と料理のどっちが上かみたいな話ですから。

 ダイエットでもリバウンドする人はダイエットが期間限定だと思っている人ですね。

 ダイエットが期間限定でいつか終わると思っているなら、そりゃリバウンドしますわな。
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なるほど含蓄のある言葉が並んでますな。さすが後藤氏でござる。
もういっちょ。

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憲法改正論議を、どうも世間の頭が良いとされる人が話をするとなんか色々こねくり回して訳がわからなくなってしまう。

民主党時代に当時の内閣が嘘ばっかりつくから告発した一色さんという人がいる。

彼は本当の意味で頭がいい人だと思う。
論をこねくり回さない。

憲法九条なども正しいか否かで考えることは本当に意味がない。

それが国を守るのに効果的かどうかだけで考えた方が良い。
そして現場の自衛官が自分を守るのに効果的かどうか。
それだけ見るのが一番正しい見方だと思う。
最前線にいる人が自分や仲間を守れないのに、どうやって国を守るというのだろう。

百歩どころか一億歩譲って仮に憲法九条が正しいとしましょう。

でも、その正しい九条が国や現場の自衛官を危うくするなら変えるべきです。
それが正しくないとしても。
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ごもっともですな。自己主張があまりに弱々しい日本人はもうちょっとしっかりせねば。
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えいやと後藤芳徳にまつわるセルフイメージをこねくり回してみるものの、流石にちょいと骨が折れそうと言わざるを得ない。
なぜなら~【後藤芳徳】のいかんともしがたい超前向きな思考回路に凡民であるわたくしなんぞがついていけるワケがないから。
そのエネルギーレヴェルといったらお会いしたことない御仁はなかなかイマジネーションが湧かないであろうが、崇高ともいいますかハイレヴェルにあることは言うまでもないです。

なぜに後藤芳徳とそういったセルフイメージを掛け合わせて思案するかといいますと、潜在意識とかその苫米地流とでもいいましょうか、脳機能につきましても彼はトコトンお勉強をされているから、ついこのところ読み漁った書籍のなかにセルフイメージがどうのというくだりが在って、だからピコンと後藤芳徳とつながっちゃったという次第でごじゃります。

ほうとくじゃないよ、後藤よしのりだよ、と伝授いただいた友人などはそのセルフイメージというのもおぞましいとノタマウ。といって、無茶な論理展開をこねくり回しているわけでなく、純粋培養みたいに己の思考に惚れこんでいるから、そういった輩はリーダーシップのあるカリスマ的御仁にドツボに嵌るように嵌っていくわけだな、これが。

後藤芳徳は気前もよく、ほとんどボランティア的にその膨大な知識なり、ノウハウめいたことを御披露いただくわけであるが、その境地というのは尋常じゃない。
くるっと翻って、やけに後藤を褒めちぎる場合はその心意気に惚れこむケースが多いのもまた事実なのだろう。

といってかの崇高な御方はもちのろん宗教ではない。
洗脳的要素のかけらもないであろうし、もはやくまさんに見られるようにマザーテレサに近づいているというと過言すぎるであろうか。

どなたも一切、非難してはいけない。誹謗中傷はもってのほかである。
レヴェルの低い感情に揺られ揺られて、大局を見失うなかれ。その先にどっしりとしたセルフイメージを構築してこそ、まさに後藤よしのりの境地が見え隠れしているのだから、勘違い的な心理状態は早々にも捨て去るべきである。
こんなドグマを吐いてるから、わたくしも他人に嫌われるのかもしれまませんが。。。
後藤芳徳を根っからの風来坊と評するひとはいるだろうか?
おっしゃるとおり、後藤芳徳のその真髄は、マサに既成の通念にハマらないところといえようもん。
ただしかし、それだけだと単なるアウトローとも言えなくもなく、畢竟、ひるがえしてみて後藤芳徳に感じるであろう価値感はといえば、どことなく「風来坊」というのが似合ってやまない気がしないでもない。
だからといって、「風来坊」が漫然といいもんじゃというには若干の抵抗感もあり、やっとこさその境地に到達している御仁も同様に、そもそも孤独な印象があるかもしれない。

風来坊は孤独?
この哲学的テーマはどこぞの誰が語ろうともなかなかどうして難題であって、おいそれと追いつける代物でないことは言うまでもなし。
といって、後藤芳徳のそうした風来坊的印象を前に、じゃ孤独なの?と聴くにしても、もちのろん、彼は孤独なひとではないし。

話しは変わるが17年蝉というセミがいる。
なんとも17年も土の中にいて、孤独な暗闇の世界で成長をひたすらに待つその姿勢、そして成虫になると儚い命。たしか一週間くらいで交尾を目的として動き回るも、やがては力尽きて死んでいく。これを無常といわずして、なんといおうか。
孤独ということを考えてるうちに、17年蝉に思い至った。
おおざっぱにも後藤芳徳をつきとめんとする壮大なProjectに突入してみて。
その契機なんぞは、取るに足らぬデキゴトでござって、「後藤芳徳」という字面をみて、ごとうほうとくと読む馬鹿者が拙者でござったところ、友がアホか、ごとうよしのりと読むんじゃいと諭してくれたのが契機でござった。
どっちでもええという方もいらっしゃるとは存じますがしかし、人名を間違えては恥でもあるからして、拙者はまず、後藤芳徳にそんなあたりから興味を抱いた経緯というもの。

そんで色んな著作を読むにつれ、知らぬ間に頭の隅に後藤芳徳がどっこいしょと存在してまぁ、そっからが大変。というほど大変でもござらぬが、兎に角、拙者は凝り性とあってカノひとをまるで初恋のおひとのように慕うありさま。

果たして彼のおおまかな、おおざっぱなところを掴んだつもりになってみて、さて推考するには後藤芳徳は雑居ビルが似合うか?という思いつきである。
雑居ビル?と思われる方も多かろうが、つまりは都会の代名詞と思っていただければこれ幸いでござる。
雑居ビルってたっくさんあるでしょ、都会に。田舎には逆にそれほど多くはないであろう。

似合うか似合わないかを推考するとだ、拙者は似合わん!と答えたい。なぜならば、生まれがまず静岡という点、土地柄的には伊豆なんぞもあって、わりと穏やかな気質が覗えようぞい。だからといって、その地に住むひと万人がそうとは限らんが、まぁ大方のところはそういうご理解をば。
ごちゃごちゃしている都会は似合わん。拙者は、後藤芳徳にはそういう風に感じてやまない。いけないかな?
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