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いざ後藤芳徳(よしのり)をつきとめようとすると、泥沼にハマったりしない?それほどに甚大なる大物かもしれない・・・。
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後藤芳徳を根っからの風来坊と評するひとはいるだろうか?
おっしゃるとおり、後藤芳徳のその真髄は、マサに既成の通念にハマらないところといえようもん。
ただしかし、それだけだと単なるアウトローとも言えなくもなく、畢竟、ひるがえしてみて後藤芳徳に感じるであろう価値感はといえば、どことなく「風来坊」というのが似合ってやまない気がしないでもない。
だからといって、「風来坊」が漫然といいもんじゃというには若干の抵抗感もあり、やっとこさその境地に到達している御仁も同様に、そもそも孤独な印象があるかもしれない。

風来坊は孤独?
この哲学的テーマはどこぞの誰が語ろうともなかなかどうして難題であって、おいそれと追いつける代物でないことは言うまでもなし。
といって、後藤芳徳のそうした風来坊的印象を前に、じゃ孤独なの?と聴くにしても、もちのろん、彼は孤独なひとではないし。

話しは変わるが17年蝉というセミがいる。
なんとも17年も土の中にいて、孤独な暗闇の世界で成長をひたすらに待つその姿勢、そして成虫になると儚い命。たしか一週間くらいで交尾を目的として動き回るも、やがては力尽きて死んでいく。これを無常といわずして、なんといおうか。
孤独ということを考えてるうちに、17年蝉に思い至った。
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